東京地方裁判所 平成2年(モ)13777号 判決 1991年1月29日
債権者 高野山紳一
<ほか七名>
債権者兼右債権者ら訴訟代理人弁護士 吉森照夫
債務者 バウ建設株式会社
右代表者代表取締役 高橋修
<ほか一名>
右債務者ら訴訟代理人弁護士 水津正臣
同 児玉隆晴
主文
一 債権者らと債務者らの間の東京地方裁判所平成二年(ヨ)第七九号建築工事禁止仮処分申請事件について、同裁判所が平成二年六月二〇日にした仮処分決定を認可する。
二 訴訟費用は債務者らの負担とする
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 債権者ら
主文同旨
二 債務者ら
主文第一項掲記の決定(以下「本件決定」という。)を取り消す。
第二事案の概要
一 争いのない事実
(本件建物と日影規制)
1 債務者目黒中央地所株式会社は、別紙物件目録一及び二記載の土地(以下「本件土地」という。)に、同目録三記載の建物(以下「本件建物」という。ただし、これは本件決定後に一部変更されたものである。)の建築を計画し、建築確認を得て、その建築工事を債務者バウ建設株式会社に請け負わせた。
2 本件土地は、第一種住居専用地域に属するが、東京都条例による日影規制の種別bとされており、軒の高さが七メートルを超える建築物又は地階を除く階数が三以上の建築物が、建築基準法五六条の二のいわゆる日影規制の対象となる。
3 本件建物は、建築確認によれば、地下一階、地上二階建てで軒の高さ五・一五七メートルの建物であり、前記日影規制の対象外の建物である。
(本件決定)
イ 債権者らは、本件建物が計画どおり建築されると、それに隣接する自由が丘アビタシオン(以下「債権者ら居住建物」という。)において債権者らが居住又は使用する各室(以下「債権者ら居室」という。)の日照が阻害され、圧迫感を生じるなどとして、本件建物の一部の建築工事の禁止を求める本件仮処分申請をした。
5 東京地方裁判所は、本件決定において「債務者らは、本件土地上に建築計画中の本件建物(ただし、これが本件決定後に一部変更されたことは1記載のとおり。)につき、別紙図面本件建物北側立面図ではイ、ロ、ハ、ニ、イの各点を結ぶ線で囲まれた部分(EVシャフト部分(同北側立面図のa、b、c、d、aの各点を結ぶ線で囲まれた部分)を除く。)で表され、同西側断面図ではホ、ヘ、ト、ホの各点を結ぶ線で囲まれた部分(EVシャフト部分を除く。)で表され、それによって特定される部分及び同西側断面図のAB線より上方部分の建築工事をしてはならない。」として、債権者らの本件仮処分申請を一部認容した。
二 争点
1 債権者らは、債権者ら居室の日照確保等のためには、本件建物の一部につき、本件決定のような建築禁止が必要であると主張する。
2 債務者らは、本件建物は日影規制の対象外の建物であるし、債権者らにある程度の日影が生じても、それは受忍限度の範囲内であると主張する。
第三当裁判所の判断
一 はじめに
建築基準法その他の公法的規制は、一般的、概括的ではあっても種々の利益衡量を経ているものであって、建築を行おうとする側の法的安定性及び予測可能性の観点からも、これらの公法的規制への適合性は、私法上の受忍限度の判断に当たっても尊重されなければならない。しかし、前記のとおり建築基準法における利益衡量は一般的、概括的なものであるし、そこで定められる基準は「最低の基準」であって(同法一条)、私法上の受忍限度とは必ずしも一致するものではなく、建築基準法における日影規制の対象外の建物であることから直ちに私法上も受忍限度を超える日照被害を与えるものではないとするのは相当ではない。したがって、建築基準法の基準を満たしていれば、ほかは無条件に建物の建築が許容されるがごとき見解は、採用できない。
そこで、以下において本件建物が建築されることにより、債権者らに受忍限度を超える被害が生じるかを検討する。
二 債権者ら居住建物とその居住・使用関係等
1 《証拠省略》によれば、債権者ら居住建物は、本件建物の北側に位置する地上六階建てのマンションであること、同建物における債権者ら居室の居住・使用状況等は別紙債権者ら一覧表「部屋番号」、「居住・使用状況等」覧記載のとおりであること、債権者ら居室の配置は、西側から東側に向かって、一階は部屋番号一〇一号室から一〇四号室の順に、二階は同二〇二号室から二〇五号室の順に本件建物に面して並んでいることが一応認められる。
2 債務者らは、債権者ら居住建物はその居住者の日照享受をほとんど考慮しないで南側の本件土地に近接して建てられており、南側に建築される建物により日照影響が生じてもそれは債権者ら居住建物自体の問題である旨主張する。
《証拠省略》によれば、債権者ら居住建物から本件土地の境界までの最短距離は、一階外壁面で一・〇一五メートル程度、二階ベランダ外部で二六センチメートル程度であると一応認められる(《証拠省略》によっても、この数字はほとんど相違しない。)。
右認定の事実によれば、債権者ら居住建物は本件土地に相当接近して建築されているということができ、このことは本件建物による日照影響について債権者らの受忍限度を判断する際の一要素とはなり得るというべきであるが、これを超えて本件土地に如何なる建物が建築されようと、債権者らはそれを受忍しなければならないということにはならない。
3 また、債務者らは、債権者らの一部の者は、本件土地と債権者ら居住建物との境界線上に存する高さ約二メートルのブロック塀及び債権者ら居住建物自体の外壁による日照影響を受けていて、本件建物による日照影響は問題とするに足りない旨主張する。
《証拠省略》によれば、債務者ら主張のようなブロック塀が存し、右ブロック塀によりGL(平均地盤面)+-〇メートルの高さにおいて受ける日照影響(冬至日の南側開口部―特に断わらない限り、以下同様)は、債権者高野山(一〇一号室)が八時から九時三〇分ころまで、同鬼塚両名(一〇二号室)には八時から一六時まで(ただし、一〇時から一四時ころまでの影響は一部分のみ)、同吉森(一〇三号室)は八時から一六時まで(ただし、全体が影響を受けるのは一五時から一六時まで)であることが一応認められる。なお、《証拠省略》によれば、同片岡(一〇四号室)もその居室外壁が〇時過ぎから一六時までブロック塀による日影下に入るものの、甲五七に示される窓等の位置によれば、開口部はその影響を受けないものと一応認められる。
また、《証拠省略》によれば、債権者ら居住建物自体の外壁により、同高野山(一〇一号室)、同吉森(一〇三号室)、同福田(二〇二号室)、同安藤(二〇三号室)、同笹原両名(二〇四号室)及び同森(二〇五号室)は、いずれも八時から一二時ごろまで、それぞれ日照影響を受けていることが一応認められる。
しかし、右認定のブロック塀及び債権者ら居住建物自体による日照影響は、いずれも後記認定の本件建物による日照影響よりも格段に程度が低く、前者はその奥行きは短く、また後者についても開口部の一部について午前中にだけ生じ、しかも時間の経過により顕著に改善されるものであって、このような日照影響が既にあることから本件建物による日照影響が問題とならないということはできない。
三 本件建物の構造とこれによる日影等
1 本件建物の構造等
《証拠省略》によれば、次の事実を一応認めることができる。
① 本件建物は、債務者目黒中央地所の代表者家族の居住用として建築が計画されたコートハウスと称される建物で、建物中央部やや南側に相当広い中庭ないし吹抜けを配していること
② いわゆるコートハウス形式の建物は、第一種住居専用地域では稀であること
③ 債権者ら居住建物の南側敷地境界からの距離は、本件建物東側部分で約三六センチメートル、西側部分で約七五センチメートルであること
④ 債権者らは居住建物に面する本件建物の南側は、東西の幅二二・五メートル、高さ五・一五七メートルの壁面であること
⑤ 北側隣地の日照保護のための規定である建築基準法五六条の北側斜線制限による高さは五・二一六メートルであり、これと本件建物の高さとの差は約六センチメートルであること
右認定の事実によれば、本件建物は債権者ら居住建物に相当接近して北側斜線制限ぎりぎりの高さで建てられる予定であり、また、本件建物の南側壁面は広大で、後記日照の点に加え、これにより債権者らが受ける圧迫感は相当強いものといえる。
2 右構造等の必要性
債務者らは、債権者ら居住建物からのプライバシー保護のために、本件建物を前記1のようなコートハウス形式及び構造等とした旨主張する。
しかし、債務者らの右主張を認めるに足りる疎明はなく、かえって《証拠省略》によれば、本件建物のようなコートハウスでは、プライバシー保護にも余り効果がないばかりではなく、プライバシー保護のためには債権者ら居住建物に対する後記のような日照被害を少なくできる他の手段があるものと一応認められ、また、それにもかかわらずこのような構造等としたのは、本件建物自体の日照の確保及び建築家又は建築主の趣味嗜好という専ら債務者ら側だけの都合によるものと一応認められる。
コートハウス形式の建物が第一種住居専用地域では稀なものであっても、コートハウス一般の建築が許容されないわけではなく、(それがコートハウスであるか否かにかかわりなく)受忍限度を超える被害を他に与えないものである場合又はこれを与えてもやむを得ない必要性があると認められる場合は、その建築は私法上も許容されなければならないと考えられるが、右認定の事実に照らすと、本件においてはこのような必要性があるものとは到底いえない。
3 本件建物による日照影響
《証拠省略》によれば、本件建物が予定どおり建築された場合のこれによる前記債権者らの各居室の日照影響は、別紙債権者ら一覧表「本件建物による日影」欄記載のとおりであると一応認められ、これによれば、債権者らが居住・使用する一、二階の計八室のうち五室が約八時間、三室が約四時間、それぞれ本件建物による日影を受けることになる。
この点に関し、債務者らは、本件建物による債権者ら居住建物二階部分に対する日照影響はほとんどない旨主張する。しかし、右主張の根拠となっている乙四〇はGL四・三メートルのものであり、これにより直ちに本件建物による日照影響を否定することはできない。
また、債務者らは、債権者ら居住建物二階部分については債権者ら居住建物自体による日照影響を、一階部分についてはこれに加えてブロック塀の日照影響を主張する。しかし、これらの影響は前記二3のとおりであり、本件建物による日照影響はこれらに比べて相当大きなもので、この両者を同列に論じることはできない。
四 旧建物及び下山田マンションとそれらの日照影響
(旧建物とその日照影響)
1 《証拠省略》によれば、本件土地には、かつて坂川誠一が所有していた木造スレート葺の建物(以下「旧建物」という。)が昭和五五年八月ころから昭和六三年三月三〇日ころまで存在し、その登記簿上の床面積は、一階が九七・五〇平方メートル、二階が四二・九六平方メートルであったことが一応認められる。
2 債務者らは、旧建物はほぼ総二階建てであったことを前提として、旧建物による平均地盤面から一・五メートルの高さの日影は乙二、一二の二に示されるとおりで、本件建物による日照影響と旧建物による日照影響とでは差がなく、本件決定は本件建物による日照影響を過大に評価している旨主張する。
しかし、右主張の前提である旧建物がほぼ総二階建てであったことは、債務者らが挙げる乙七の五、九からは認めることができない(旧建物の形状は後記3に認定のとおりである。)ので、右主張は採用できない。また、乙四二の旧建物による日影図も、笹原貞彦本人に照らし、採用できない。
3 《証拠省略》によれば、旧建物は、いわゆる総二階建てではなく、二階部分の床面積も右登記簿の記載と同程度で、二階の棟高は六・七メートル程度であり、旧建物による債権者ら居住建物の平均地盤面から一・五メートルの高さの日影は概ね甲六一に示されるとおりであると一応認められる。
4 そして《証拠省略》によれば、旧建物により債権者ら居室が受けていた日影は、債権者高野山(一〇一号室)が八時から一〇時ころまで、同鬼塚両名(一〇二号室)が一〇時から一五時ころまで(ただし、開口部全体の日影は一二時から一三時ころまで)、同片岡(一〇四号室)が一五時から一六時ころまで、同福田(二〇二号室)が八時から一〇時ころまで、同安藤(二〇三号室)が一二時から一五時ころまで、同笹原両名(二〇四号室)が一三時から一六時まで、同森(二〇五号室)が、同吉森(一〇三号室)が一四時から一六時ころまで(ただし、開口部全体の日影は一五時から一六時ころまでであり、また、《証拠省略》によれば、債権者吉森の入居は旧建物取り壊し後の昭和六三年四月ころである。)となる。
(下山田マンションとその日照影響)
4 弁論の全趣旨によれば、債権者ら居住建物の南東側には三階建ての下山田マンションがあることが一応認められる。
5 債務者らは、債権者ら居住建物は、同マンションによる日影を受けており、これによる複合日影を考えると、本件建物自体によって増加する日影は僅かである旨主張する。
6 しかし、《証拠省略》によれば、同マンションにより債権者ら居室の南側開口部が受ける日影は、債権者高野山(一〇一号室)が八時から九時ころまで、同鬼塚両名(一〇二号室)が八時から九時ころまで、同片岡(一〇四号室)が八時から一二時ころまで、同福田(二〇二号室)が八時から一〇分程度、同安藤(二〇三号室)、同笹原両名(二〇四号室)及び同森(二〇五号室)がいずれも八時から九時前ころまで、同吉森(一〇三号室)が八時から一〇時三〇分過ぎころまでの間であると一応認められる。
(まとめ)
7 以上によれば、前記認定の本件建物による日照影響は、旧建物及び下山田マンションによる日照影響に比して格段に大きく、これら建物による従来からの日照影響の存在は、本件建物による日照影響の増大を合理化するものではないというべきである。
五 交渉経緯等
《証拠省略》によれば、債務者らは、本件建物の建築工事を平成元年一二月一〇日ころから始めたが、それ以前の段階で、債権者らに対して図面や工程等についての説明はいっさいしていなかったこと、その後本件仮処分申請の前後を通じて、債権者らから日照の確保等のために、本件建物の敷地境界線からの後退あるいは一部カットを要請されたが、債務者らはこれに全く応じようとせず、また、債務者らは、本件建物の断面を示す概略的図面に過ぎない乙一一を提出しただけで、各部分の関係高さ等を知ることのできる矩計図(かなばかりず)も提出していないことを一応認めることができる。
このような債務者らの対応は、債権者らに対する配慮や紛争の妥当な解決をしようとするものではなく、専ら自己の側の利益や都合だけに固執するもので、これによる損害は債務者らが甘受すべきものというべきである。
六 結論
1 前記二ないし五の本件建物の構造等とこれによって債権者らの受けることになる圧迫感及び日照影響等の被害及びその増大の程度、本件建物を右構造等とする必要性の乏しさ、並びに交渉経緯等からすれば、前記被害は債権者らの受忍限度の範囲を超えているものと評すべきである。また、このような本件建物が建築されてしまってからそれを撤去することは困難であり、保全の必要性も一応認められる。
そうすると、債権者らは本件建物の建築工事を相当な範囲で禁止することを求めることができ、東京地方裁判所がその申請の範囲内でした本件決定は正当というべきである。
2 なお、債務者らは、本件決定によっても債権者らの受ける日照影響はほとんど回復せず、保全の必要がない旨主張する。
しかし、《証拠省略》によれば、本件決定のとおりに本件建物を建築した場合には、別紙債権者ら一覧表「本件決定による改善」覧記載のように債権者ら居室の半数の四室につき日照影響は顕著に改善され、また、その他の居室も含めてこれにより日影の奥行きも約一メートル後退するなど、債権者らに対する本件建物の影響は緩和されることが一応認められる。債務者らの右主張は失当である。
3 また、債務者らは、債務者らが本件決定によって建築工事を中止したことによって重大な損失を被っている旨、及び本件決定のとおりに施工すれば本件建物は欠陥建物になってしまう旨主張し、《証拠省略》には、これにそう部分がある。
しかし、右欠陥建物となる旨の部分はその具体的裏付けがないばかりでなく(矩計図等によりこれを明らかにすることは可能と思われるが、前記のように債務者らはその提出をしていない。)、債務者ら主張のような損失が生じたとしても、それは前記のような債務者らの対応に基因するものというべきであり、これらをもって本件決定を取り消すべき事情とすることはできない。
(裁判官 笠井勝彦)
<以下省略>